1975-06-26 第75回国会 衆議院 本会議 第31号
まず、農家そのものが自給農業として成り立ち、そこを出発点として地域農業を確立し、その積み上げとして、国内自給を達成するという基本姿勢がとられるべきであると考えますが、いかがですか、中国の自力更生運動をどう評価されますか。農業後継者対策と農畜産物価格対策を含めて、お答え願いたいと思います。
まず、農家そのものが自給農業として成り立ち、そこを出発点として地域農業を確立し、その積み上げとして、国内自給を達成するという基本姿勢がとられるべきであると考えますが、いかがですか、中国の自力更生運動をどう評価されますか。農業後継者対策と農畜産物価格対策を含めて、お答え願いたいと思います。
さっきも申し上げたが、戦争前の一番苦しいときに石黒先生が自力更生運動というものを起こしました。これは農林省だけではできないので、農林省の人をたくさんそこへ持っていって、財団法人か何かの農村更生協会というものをつくってやったことがある。私が去年中国の大秦というところへ行ったら、向こうの旗印は自力更生なんだ。
これは私は周東農林大臣がちょうど金融課長をおやりになった経済更生運動、自力更生運動、あのときのことを私は思い出さざるを得ないのでありますが、あのときには、何といっても産業組合が中心になってあの経済更生運動を進めたし、産業組合自身もあのときに非常に大きく飛躍をして、そうして今日の基礎を作ったと思います。
かくて民間団体の官制化あるいは非科学的な国民精神文化の推進、農村のいわゆる自力更生運動、こういうような形のものが次々と行われて参りました。かようにいたしまして、戦争への道を踏んでいったのであります。 私は社会教育というものは官制でなすべきではない、あくまで自発的に、下から盛り上るように奨励しなければならないと思います。これは民主社会においては、ことさらにかように考えるのであります。
私はこういう全体の構想はいいといたしましても、急にこういうふうにやられると、必ずかつての自力更生運動時代のペーパー・プランが出てきます。そうして村の連中は何も知らないうちに、ボス連中があっちの施設を作ったり、こっちの施設を作ったりして、補助金を食い荒してしまって残るものは借金だけ。
私どもはこの点について、過去のいろいろの自力更生運動の結果を見ても、しりすぼみであって、当時の政党なり政府が、単に農民を一時ごまかしているだけのものであって、決して日本の農村の基本的な発展の方向には役立っておらない。戦後におきましてもいろいろこれに似たような計画はたくさんできております。いずれもしり切れとんぼになっておる。
かって戦争前に自力更生運動というものがありました。そのときも補助金も出た、資金も出たが、結局農民は何らの大した恩恵をこうむらぬうちに、それが二年ばかりがしゃがしゃ騒いでやったら、あと残ったものは借金ばかりだ。そうして腐ったような役に立たないような施設があちこちに出てきた、そういう実情があると思う。
これは戦前の自力更生運動の改訂版ではないか、こういうふうにわれわれは心配するわけですが、そういう心配は、この中にございませんか。
むしろ逆に言うならば、それは昔の自力更生運動の改訂版にしかすぎない。こういうことでは、心配なのは、翼賛青年団的なものができてしまう、あなたの考え方とは全く逆なものができてしまう心配が多分に蔵されている。善意で解釈をしないならば、そういうものを作るために新農村という新しい言葉を持ち出されてきているのではないかとさえ考えられる。私はそこまで悪意に解釈しようとはしておらない。
かっての自力更生運動というのは、非常に言葉はいいけれども、農民の耐乏生活のもとに農村の更生をはからしたことなんです。そういう自力更生運動とつながってはいけないのです。
かつての昭和の初年代における農村の人たちが農村救済を叫ばれた当時、あのときも最後に農村を侮辱したような言葉でありますが、自力更生運動というような形に持つて行つた。農村自体がやつて行けないのに、自力更生をするという言葉は、言葉の上に非常に問題があつたのでありますが、実際はそういうふうにして村の人たちは火の玉になつて立ち上つた。
なぜならば、かつて昭和の初年代に農村が不況になりましたときに、あの農村自力更生運動というものが、とにもかくにも農村復興の上に、いろいろな政策と相まつて大いに役に立つたこと、それから当時の指定町村というものが、今日になつてみて、あの一つの事業はよかつたと、私は農村の立場から見ておるのでありますが、そのときにかりにああいうふうな更生運動をやる村の委員をつくるときに、村の枢要な仕事をやる立場にある人を抜いておいて